にとはちさまのページへようこそ!
長野市の中東部に位置する古牧地区には、古くから伝わる「にとはちさま」というものがあります。
さらには、その「にとはちさま」を語り繋いでいくための「にとはちさま保存会」という団体もあります。
その「にとはちさま」について、ご紹介します。
「にとはちさま」って何?
「にとはちさま」とは、約350年前に長野市に実在した「助弥さん」という青年のこと。
当時18歳だった助弥さんが、3斗の年貢を2斗8升にするべく、勇敢に立ち上がり散っていったことから、二斗八様(にとはちさま)と呼ばれるようになったといいます。
また、助弥さんらが巻き起こした二斗八騒動が、「義民助弥の物語ーにとはちさま」という物語となって、語り継がれており、この地区の小学校では、授業でも取り上げられています。
にとはちさま(助弥さん)は、どんな人?
・1,656年(明暦2年)ごろ善光寺平の下高田村(現在の長野県長野市南高田)に生まれる。
・お百姓さんの家の長男で、一人っ子。
・9歳のころ、名主(村をまとめる中心的人物)だった父を亡くす。
・母親思いの働き者。
・正義感が強く、困っている人を黙って見ていることが出来ない性格。
・だれよりも、故郷を愛している。
・1,674年(延宝2年)、18歳でこの世を去る。
にとはちさま(助弥さん)は、何をしたの?
・当時18歳であったが、善光寺平36ヶ村の偉い人たちを説得し、年貢を減らしてもらうべく江戸の将軍様への直訴を提案する。
・江戸の将軍様にお渡しするお手紙「訴願状」をつくり、丸い輪の形に署名する「願いあげ書」を考案。
・自分が散る運命を背負うことになると知りながらも、自ら直訴の先立ち(リーダー)を名乗り出る。
・助弥が先頭を切り、代表の名主6名と共に江戸へ行き、直訴を果たす。
滅んでしまいそうだった善光寺平の未来を、助弥さんの勇気ある行動が守ってくれたんだね。
私たちが今、幸せに暮らせているのは、過去のたくさんの先人たちの数々の決断や行動が、未来である今を作ってきてくれたからなんだよね。ありがたいなぁ~。
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