今現在、子どもさんの問題行動や不登校、さらには引きこもりで、悩んでいるお父さん、お母さん。
我が子を心から憎ったらしい思うこともあるでしょう?
私は、めちゃくちゃありました。
私の場合、夫が全く何もしない人だったので、1人で戦っていました。
でも、今だから言えるんですけど、、、
息子の小3から20歳までの11年間、
「これまでのこと、ぜーんぶ必要だったんだなー!」
と本当に本当に思うんです。
だって、それがなかったら、今の息子は完成していないはず。
月曜から土曜まで、朝5時半に起きて、6時10分には家を出て、解体の仕事に行っています。
そして夕方、いい顔で帰ってきます。
自分で決めて、切り開いた道を着々と進み始めて、あっと言う間にもう1年が経ちます。
当時の色々があってこその、たどり着いた場所だと思うんです。
小学3年生の頃から問題行動が目立つようになり、中学3年の終わりごろから不登校に。高校生になってもまた挫折し不登校を繰り返し、
そして、やがて引きこもりに。。。
その後、少しずつ少しずつ家の外に出られるように仕向け(ほぼ無理やり)、最終的には息子本人が自分の力で這い上がるまでの悪戦苦闘ぶりをご紹介いたします。
なんの参考にもならないかもしれないブログですが、もしかしたら、心がフッと軽くなるかもしれないし、何かしらキッカケになるかもしれない。
でも、結局思うのは、息子が変わる前に親である私の意識が先に変わらなきゃいけなかったってことなんです。
私がもっと早く変わっていれば、息子はまわり道をせずに済んだのかも、、、なーんて考えても仕方ないので結果オーライってことにしておきます。
我が家の家族構成
私は、
長男(25歳)
長女(23歳)
次男(20歳)
次女(11歳)
の4人の子を持つ母親です。(令和6年現在)
長男、長女は独立し、離れて暮らしています。
現在、同居している家族は、
夫と、私、次男、次女の4人です。
夫とは再婚で、3人の子持ちの私と一緒になってくれました。
その後、夫との間に生まれたのが次女です。
今回紹介するのは、3番目の子ども、次男です。
次男が産まれた頃のこと
産まれた時は父親がいなかった
【平成15年】
次男が産まれたのは、平成15年9月。
実は、次男は生まれた時からお父さんがいませんでした。
私は、上2人の父親と離婚した後、未婚のまま次男を産みました。
産まれた後は、毎日ドタバタでした。
5歳、3歳、乳児をひとりで抱えて、、、
そのうち、ムリがたたって関節リウマチを発症してしまったのですが、両親の反対を押し切り「頼らなくてもやって行ける」と言ってしまった手前、頼ることも出来ず、1日1日、今この時を乗り越えるのに精一杯でした。
朝、目覚めてどうやっても身体が動かない時は、横でヒャーヒャー泣いている次男に自分の下唇を吸わせてしのでいました。
おっぱいは、はち切れそうになっているのに、抱き抱えて母乳をあげることが出来ないんです。
もう、20年も前のことなんですね。
早いなぁ、、、。
そんな状態であることが両親にバレて、、、本当に色々心配してくれて、結局助けてもらったんですけどね。
ありがたくて、思い出すと泣ける( ; ; )
幼少期の頃の次男
とにかく活発! 泥んこになって遊ぶ幼少期
【平成16年~】
生後7ヶ月の頃から保育園に預けました。
わんぱく坊主で、先生たちも手を焼いたことと思いますが、
そこの保育園は、自然の中で保育をするわんぱく大歓迎の保育園だったので、
次男にはちょうどいい環境だったように思います。
じっとしていることが苦手で、体を動かすことが大好き、運動神経だけは抜群でした。
【平成19年】
次男が年長(6歳)の頃、地区の活動がきっかけで今の夫と出会い、間もなく頻繁に家に来るようになりました。
上の2人は、上手に夫と関わっていましたが、、、
次男は、、、なんとなく、複雑な思いを抱いていたのではないかと思っています。
問題児と言われ始めた小学生時代
母(私)の再婚と妹の誕生 そして、問題行動のはじまり
【平成24年】
本格的に問題児として学校から指摘されるようになったのが、小学3年生の頃。
ちょうどその頃、私と夫は入籍し、妹が産まれます。
やはり、大人の都合に振り回されたことで心が不安定になっていったんだろうと思います。本人も気づかない心の奥底に寂しさもあったんだろうと思うんです。
と言っても、次男は妹に対してヤキモチを焼くということは全くありませんでした。
9歳離れた妹が可愛くて可愛くて、常にベタベタくっついて、時にはベロベロ舐めまわして、オムツ替えも「オレがやる、オレがやる!」と率先してやってくれました。
家では、妹の面倒をよく見る、そしていつも明るいお兄ちゃんでした。
一方、学校では、、、
どんどん授業について行かれなくなり、お友達とうまく関わることも出来なくなっていきました。
自分の言い分を言葉にするのが苦手で、口で勝てないと手が出てしまうんです。
あと、人の給食を食べてしまうとか(*_*)
登校旗で友達のランドセルをパンパン叩いて(パンパンの音が楽しくて)、ランドセルに傷をつけたとか。
好きな女の子にわざとよろけたフリをしてぶつかったりとか。
他にも色々ありました(+_+)
当時は、夕方かかってくる学校からの電話の着信音にビクつく日々でした。
学校に呼び出されることも、何度あっただろう((+_+))
ほとんどの場合は、「そんなの、お互い様だよー。気にしないで!」という風に言ってくださいました。私も、子ども同士のトラブルで、我が子がやられた側だった場合は、そういう対応をしていました。
だって、心から気にしないでって思うし。そう、やったりやられたりすることで、色んな気持ちを味わって成長していくものだと思うし。
でも、いちいちいちいち保護者が目くじらを立てて学校に訴える場合もありまして、その度に電話で謝ったり、時には菓子折りを持って出向いて行ったり、、、。
やられた子どもさんは、きっとイヤな思いをしたのだと思うんです。もちろん、その都度次男に謝らせました。
でも、私としては、そんなこと子ども同士で解決できる案件じゃないの?なんでそんなに親が大騒ぎするの?という感覚でした。
ヒステリックに言ってくる親がね、1人いまして、、、、当時の次男の日記を見ると、おそらくその子(女の子)のことが、好きだったんだろうと思うんです( *´艸`)
しつこくちょっかい出してたんだろうと思うんです。そして、その子は次男のことが大っ嫌いだったんでしょう。
大げさに広まる噂
【平成27年】
そして、そのヒステリックな方により、次男が問題児であるという噂が急激に広まっていきました。一部のお母さんの間で「次男の言動を報告し合うネットワーク」が出来上がっていて、メールが回っていたようなんです。
だいたい、子どもっていうのは、自分が多少悪くても、相手がさも悪いように親に言いつけるもんです。
それを真に受けた親が、そこにさらに色を付けて、メールで流す。。。
本当にくだらなすぎて、勘弁してほしかった。
当時の担任の先生はメールの内容と事実が違うことを理解をしてくれていて、それが本当にありがたかったです(*´▽`*)
次男を特殊学級に!との声が…
小学校の職員会議で、うちの次男を特殊学級に入れた方がいいのではないか!と何度も話が持ち上がっていたようですが、担任の先生は、「自分が責任をもつ。今のクラスのままで卒業させたい!」と取り計らってくださいました。
確かに次男は、年齢よりも幼いところがあり、特殊学級に入れるか入れないかのスレスレのラインにいたのかもしれません。
「専門の医療機関で調べたら、もしかしたら『集団生活不適合障害』という感じの名前が付くのかも」と、担任の先生からも言われました。調べれば、3人に1人は何かしらの病名が付くんだそうです。
診断してもらう必要性を感じていなかったので、受診することはありませんでしたが。
と、このように当時、周りではワーワー言われておりましたが、仲良くしてくれる友達もたくさんいましたし、わかってくれる親御さんもたくさんいました。
私の感覚では、次男のどこが問題児なのか、いまだにさっぱりわかりません。まわりの保護者が騒ぎ立てて学校に言うことにより、問題児に仕立て上げられたような気がしています。
少年野球ではエース、運動会で応援団長!
そんな学校生活でしたが、土日は、小学3年から始めた少年野球に夢中で取り組み、6年生の頃は次男はチームのエースになっていました。
エースで4番!ピッチャーもキャッチャーもこなします。
クラスでは浮いた存在の次男が、少年野球のチーム内では、下級生たちの憧れの存在という立場になっていました。
そんな次男を私は自慢に思っていました。
本当に、我が息子ながら野球をやっている時の次男は、イキイキとしていてまぶしいくらいでした♡
さらには、小学校最後の運動会では、応援団長をつとめ、その立派な姿にただただ涙が止まりませんでした。
引き続き問題行動の多い 中学校時代
部活動でのトラブル
【平成28年~】
中学校に入学したものの、卒業した小学校のほぼ全員が同じ中学校に行くので、メンツはそのまま。
プラス、何校か別の小学校からも来ていたので、新しい人間関係も出来てきました。
ここの中学校には、野球部がなく、クラブチームに入るという選択肢もあったのですが、次男はお兄ちゃんと同じバレーボール部に入部しました。
全くの未経験だったのですが、持ち前の運動神経で、1年生のころからレギュラーになり(3年生は早々に引退し、2年生は4人しかいなかったんです)、さらには1年生キャプテンを任されました。
クラスでも、部活でも、最初は順調でした。
1年生の終わりごろから、部活中に次男が先輩に対し反抗的な態度をとったことで、顧問の先生から「出入り禁止」を言い渡されました。
反省したら戻るように言われた次男でしたが、そのまま春休みの部活には参加せず、2年生になりました。
すると、部活の顧問が変わってしまい、、、
クラスの担任の先生も変わってしまい、、、
それがきっかけなのかわかりませんが、2年生になった頃から、まー色んなことをやらかしてくれました。
とにかく、小学校の頃から目につけられていた存在なので、同じことをやっていても、次男がやると問題になるんです。
担任に対する反抗
【平成30年】
髪型をツーブロックにして登校した日、丸一日別室に隔離され、給食も一人、授業も受けられず一人で自習させられた日がありました。
担任が言うには、「他の生徒の目に触れると、悪影響を及ぼすから。」とのことでしたが、他にもツーブロックの生徒なんか何人もいるのに、次男だけそんな扱いだったのはなんでなんですかね。。。
そんなこともあり、次男はどんどん担任に対して反抗的になって行きました。
担任に向かって、イスを投げたこともありました。
ちゃんと、当たらないように投げたそうですけど(;^_^A
そういう問題ではないですね。。。
高校受験(前期)に失敗 不登校がちに
そして、相変わらず勉強はまるっきりついていけない、宿題も全くやらない、部活だけに力を注ぐ中学校生活だったわけですが、いよいよその部活も3年生になり終わりを迎えます。
周りの友達は、高校入試に向けてどんどん突き進んでいくのに、
自分はどうしたらいいのか、わからなくなってしまっていました。
勉強というものを全くやってこなかった次男は、受験勉強も一切やる気にならず、
置いてけぼりになっていました。
さらには、「試験で名前さえ書ければ誰でも合格する」という噂の私立高校の受験にも失敗し、
何もかもやる気を失いました。
そして、学校に行かない日が増えて行きました。
朝、時間通りに起きるのに、そのあとの支度がどうしても出来ず、そのままストーブの前で寝てしまうという毎日。
一度、洗面器に水を汲んで顔面にバサーっとかけてやったこともありました( *´艸`)
逆効果でしたけどね。
その後、ブチ切れてました!
結局 勉強しないでむかえた高校受験(後期)
進路希望の用紙の提出日が刻々と近づいてきます。
進学するのか、就職するのか、、、どうするのか。
夫は、「勉強が嫌なら就職しろ。」と言いますが、
次男は「就職なんてムリ!」と。
結局、進学することに決めますが、次男が希望する学校は、学力の面でも、生活態度の面でも、合格ラインには到達していないとのことでしたが、そこを受験することにしました。
合格発表は、卒業式の次の日。
なんとも言えないモヤモヤした気持ちを抱えながら、卒業式を迎えました。
私が、記念写真を撮ろうとカメラを向けると、イライラしてるのがわかりました。
反抗期と、進路の不安と、卒業の寂しさと、、、色々ぐちゃぐちゃだったんだろうよ。
そして、迎えた合格発表。
発表の時間にネットで確認すると、、、、
受験番号、、、あった!!!
えー!まじー!? 受験勉強しなかったのに?担任にさんざん反抗してきたのに??
部活でも、暴れまくってたのに?
とにかく嬉しかったー!!!
いよいよ高校生!
兄弟全員が新たなる道へ・・・
【平成31年(令和元年)】
この年は、平成31年。5月から令和元年がスタートした年でした。
さらには、我が家にとって、子どもたち全員が新しいスタートを切った年でもありました。
長男は、新社会人としてIT企業の会社に就職、一人暮らしも始めました。
長女は、東京の大学に入学し、こちらも一人暮らしを始めました。
次男は、高校に入学。
次女は、小学校に入学しました。
そう、全員ピカピカの一年生。令和のスタートは我が家にとって、新たなる一歩を踏み出した年になったのでした。
初めのうちは順調だったんだけどね。
生活スタイルがガラリと変わり、次男も心機一転、人が変わったようにちゃんと登校し、ちゃんと授業を受け、先生からも「まじめに取り組んでいますよ」と、今まで言われたことがないような言葉を言われました。
周りが自分と同じくらいの成績の人たちばかりなので、クラスの中で浮いてしまうということもなく、気の合う友達も出来て、しばらくの間は本当に楽しそうに学校に通っていました。
でも、それは6月までの話でした。
引きこもり生活のはじまり
出席日数が足りず「休学」に
順調に行っていたのがウソのように、7月に入った頃からまたもや中3の頃と同じ「逃げたい病」「めんどくさい病」が発病してしまいました。
先生から、「このままでは、進級できない」と電話があり、何度か息子と一緒に学校に出向き面談に行きました。
この、呼び出しに応じるのも、とにかく「めんどくさい」のです。
機嫌の悪いこと悪いこと。
やっとの思いで、着替えさせ、車に乗せて学校に連れて行っても、学校ではたくさんの課題を出され、身支度や髪形について色々言われ、本人はほとほとウンザリ、、、な感じになっていってしまいました。
結局2学期の早い段階から、進級できないことは確定し、「休学」という形になってしまいました。
そこから、暗い暗い引きこもり生活が始まったのでした。
Youtube・ゲーム三昧の息子に全く話しかけない夫
毎日、毎日一歩も外へ出ず、家に引きこもる日々でした。
7月の休みがちになった頃から、「今月中にはアルバイト始める」「8月に入ったらアルバイトする」「9月には絶対バイトする」「さすがにやばいから、10月中にはバイト決める」・・・と伸ばし伸ばしになったまま、時だけが過ぎて行きました。
特に何をするでもなく、ゴロゴロと携帯でYoutubeを観たり、ゲームをして過ごして1日が終わります。
私は朝仕事に行き、昼休みに一旦帰って来て、また午後仕事に行き、夕方帰ってくるのですが、息子は朝、昼、夕方とずーっと同じ場所にいて、寝ているか、寝転んで携帯をいじっていました。
おそらく、トイレに行く以外は動いていないんじゃないかと思い、、、さすがにこんな生活が何か月も続いていたので、足腰が弱くなってしまうんじゃないかと心配しました。
次男がこんな状態でダラダラ、ゴロゴロしているのに、夫は全く次男に話かけることはなく、それが私には本当に理解が出来ませんでした。
「おはよう」と「おやすみ」だけしか言葉を交わさないんです。
「次男の方から話しかけてくれれば、いくらでも話すよ」というスタンスなんです。
でも、全く話しかけないというのが、見ていてとても異常な感じでした。夫は子どもたちの父親になってはくれたけど、子どもたちに全く興味がないんだな。。。というのがわかってしまった気がしました。
このことをきっかけに、私も夫とほとんど話をしなくなりました。
もう、私がこの子をなんとかしなくちゃ!この子には、親は私しかいないんだ!という気持ちになっていました。
アルバイト 面接にこぎつけるまでの長い長い道のり
学校に行かなくなった7月から、「アルバイトするする」と言い続けて、もう11月です。
以前長男が高校生時代にアルバイトをしていた酒屋さんで募集の張り紙が出てたことを伝えると、「うん。やる!」と言います。
が、毎度のことながら動き出すまでに時間がかかりました。
まず、「履歴書を買ってくる」という第一関門を突破しなければなりません。
何か月も家の外に出ていない次男です。
玄関の外に出るのが、何よりも難しいんです。
結局、1週間経ち、2週間経ち、私もあきらめて買ってきてあげてしまいました。
さて、第二関門は「履歴書を書く」です。
これがまた、次男にとっては難関なのです。
床に置きっぱなしのまま、何日か経過しました。
いつ、床の履歴書、手に取るかなー。
いつ、袋から出すかなー。
いつ、記入するかなー。
果てしなく、遠い道のりのような気がしました。
「今週中に、面接の日程が決まるなり、面接を受けるなりの行動に出なければ、携帯を没収する!」と告げると、「わかった」と言うんですが、それでも動き出しません。
ようやく、約束の期限の最終日に意を決して電話をかけました。
ほっ(;^ω^)
第二関門(履歴書を書く)の前に、第三関門を突破し、面接の日程が決まりました。
その勢いで、履歴書も無事記入完了!!
第四関門は、「履歴書の写真を撮りに行く。」です。
その前に、金髪の髪を黒く染めなければ!!!
勇気を出して、玄関のドアを開け、ドラックストアまで黒染めを買いに行きました。
すごいすごい!!!
そして、無事髪も黒く染めて、ここまでは段取りよく順調に行きました。
肝心の写真を撮りに行くのが、面接当日のギリギリまで伸ばしてしまい、私はもう仕事に行かねばならないので、自分で証明写真ボックスまで行って写真を撮って、それを切って履歴書に貼って、ちゃんと面接に行ってくるように念を押し、心配しながら家を出ました。
そして、、、
仕事から帰ると、久しぶりに笑顔の次男がいました。
何か大きな仕事を終えた感じで、達成感があったようです。
結果は、、、不採用だったんですけどね。
そんなのいいんです。
大きな一歩を踏み出せた!すごい前進だよぉー(≧▽≦)
と思ったのもつかの間、、、また引きこもり生活にもどってしまったんですけどね。
「次、また探す」「また探すから!!」というばかりで、何も進まない日が続きます。
そうこうしている間に1カ月過ぎました。
また、例のように期限を決めて、それまでに行動に移さなければ携帯を没収することに。
そしてまたギリギリまで引っ張り、ようやく面接までこぎつけます。
タイミングがよかったのか悪かったのか、年末だったので人手が必要だったらしく、すんなり採用が決まり、12月30日が初出勤となりました。
回転ずしの盛り付け担当です。
初日は17時から20時まで。3時間の勤務ですが、おそらく、こんなに長時間起き上がっていたことはない生活をしていたので、そうとう疲れたと思います。
ヘトヘトになって帰ってきましたが、でも興奮していました。
頑張った頑張った。
そして、次の日は大晦日、そして元旦と11時から18時までの勤務でした。大忙しだったようです。
さらには、ネタを全部覚えていなかったことで、店の人に怒鳴られたようで、そこからもう電池切れになってしまいました。
その後は2日間、「熱がある」といって休み、そのまま次のシフトがわからないまま、連絡もせず放置していたようでした。
10日ほど経ち、一向に動き出さないので、私がバイト先にお詫びに行こうとすると、「自分でやるからほっといてくれ。オカアのせいで、またオレがダメになってくんだよ。」と半泣きで言います。
私が、次男をダメにしたんだとしても、バイト先にシフトを確認しないまま、わからないから行かないなんて、人としてダメだよね。。。
どうすりゃいいのか、私もイライライライラ・・・・・
ついに、「このままの状態が続くなら、お前を施設に入れる!!」と脅しました。
脅してやらせるなんて、よくないんだろうけど、本気度を見せるために引きこもりの子を受け入れてくれる施設の資料を取り寄せてそれをチラつかせました。
この日までに連絡しなかったら、申し込む!と、また期限を決めると、ようやくバイト先に連絡をし、辞めることを伝えたようです。そして、自分で制服を返しに行きました。
次年度(高校2年目)の進路相談
無気力で何も出来ない どうしても面倒くさい 異常というべき次男の様子
【令和2年】
高校の担任から電話がありました。
来年度、復学するための課題を取りに来るようにとのことでした。
日程が決まり、前日に床屋へいって髪を短くしてきました。
よし。
が、信じられないことに当日は寝ていて行かず、、、
「そんな調子じゃ、4月から復学なんてとても無理だから、退学しろ!!」と伝えました。
「今は無理だけど、4月からは大丈夫!」と言ってましたけど。。
さて、課題を受け取る日程を変更してもらった次男ですが、なんと、その日も同じく眠さに勝てずすっぽかします。
約束の時間は放課後なので、夕方の時間帯なのに、次男は眠いんです。
「現実逃避」したかったんだろうと思います。
3回目、ようやく学校へ行き、どっさり課題を受け取ってきました。
うーん。やる気出してくれ。
「先生からは、とにかく、答えを見てもいいからちゃんとやって提出してほしい。」と言われました。やれよ!
さ、3月。
課題提出日&面談の日がやってきました。
1回目
当日は、眠いため寝ることを選びすっぽかす。
担任から私の携帯に「息子さんが来ていません。」と連絡があり、日程を変えてもらう。
2回目
今回も眠いため、自分で連絡をし日程を変えてもらう。
3回目
時間通りに行くことは出来きたが、身支度、頭髪が整っていないと注意を受ける。
4回目
髪は黒く染めて行ったが、自分で染めたのではダメとのことで、美容室で染めてくるように言われる。
5回目
面談当日のギリギリの時間までゲーム。結局美容室(床屋)には行けず、予定を変更してもらう。
6回目
床屋で髪も染め、時間どおりに行く。この日に全ての課題を提出するように言われていたが、課題を提出することが出来ず面談が出来ずに帰される。
7回目
前日課題を全部やり終えたが、作文が最後まで書けていないので、日程を変更してほしいと連絡するが、学校側から「今まで何度もチャンスを与えてきたが、これ以上は出来ない。復学は受け入れられない。」と言われる。
8回目(親子面談)
来年度の休学後、再来年度は復学するのか、それとも通信制の高校に編入するか決めるように言われる。
「通信は嫌だ。学校生活を送りたい。」とのことで、来年度も1年間休学し、再来年度また再チャレンジすることに。
こうして振り返ってみると、、、当時の悪夢が蘇ってきます。
正常じゃないですね。
この次男を無視し続ける夫への憎しみと、どんどんダメ人間になっていく次男への憎しみとで、本当に辛かったな。。。私が。
でも、次男は次男で辛かったんだろうと思うけど。いや、次男の方が辛かったんだろうな。
次男の心の叫び
夫が立てる物音(イスを引いたときに出る音や、咳ばらいなど)に、次男は反応するようになっていました。舌を「タンっ」と鳴らすんです。舌打ちとは違って、上あごに舌をくっつけて真空にして鳴らすの、わかります?「タンっ」とか「コンっ」って強くやると結構な響き渡る音が出るあれです。
夫が何か音をたてたり、声を出したりすると、舌を鳴らすんです。夫が出す音の大きさと同じくらいの大きさで舌を鳴らします。小さい時は小さく、大きい時は大きく。
それ、半年くらい続いたでしょうか。
夫も気づいていました。誰だって気づくレベルです。すごい頻度でやってましたから。
きっと、「なんだ、それ?やめろよ。」とか何か言って欲しかったんじゃないかと思うんです。
それでも何も言わない夫でした。
なんなら、自分の方が息子に反抗されて被害をこうむってるって感じでした。
私には、「振り向いてよ!何か言ってよ!」っていう心の叫びに聞こえてましたけどね。
母(私)の病気再び
【令和2年】
次男を生んだ直後に、発症した関節リウマチの症状が、またもや出てきてしまいました。
私の場合、精神的にやばくなるとすぐに体に現れるという便利な機能があるようで。
体中の関節が傷みで動かなくなってしまうんです。
そんな辛そうにしている私にも、夫は何も声をかけません。私も、意地になって何も言いません。
夫の会社で働いていた私は、仕事を休むこともできませんでした。休んだ分の仕事は他の誰かがカバーしなければならず、そうとう大変になることがわかってましたので。
毎日、市販の痛み止め(ロキソニン)を飲んで、仕事に行っていました。
次男を生んだ頃に発症したときは、母乳を与えていましたので、薬に頼ることが出来ませんでした。
今回は、もう薬に頼りました。医者にも行きましたが、「薬を飲み始めると、内臓が破壊されていく可能性があるから、もう少し様子を見たほうがいい。」となかなか処方してくれません。
朝、着替える時も時間がかかって仕方がありません。
朝は本当に動かないんです。手が顔まで届かないので、顔を洗うのも、髪を整えるのも時間がかかります。
それでも全く家事にはノータッチの夫。きっと、頼めばやってくれたと思うんです。
でも、頼りたくなかった。頼まなきゃやらないって何?
私は、ただ思いやりが欲しいだけなのです。
「大丈夫か?」とか、なんか欲しかっただけなんです。
でも、そんなの、、、「いらない」という心境に代わって行きました。
思いやりがいらないんじゃなく、この人、、、、いらない。に代わって行きました。
夫に頼る。ということが、苦手な私です。
仕方がありません。
夫に何かをお願いすることの方が、自分でやるよりも労力がいるんです。
女として、全くかわいげのない性格です(;^ω^)
自給400円のアルバイトと80代の友達
傷みに耐えながら仕事をしていた私でしたが、職場でも周りが心配してくれて色々と迷惑がかかっていたので、次男に仕事を手伝ってくれないかとお願いしてみました。
二つ返事で「いいよ。」と言ってくれ、毎日午前中だけお手伝いに来てくれるようになりました。
そんなわけで、10か月ほど続いた引きこもり生活は、すんなり終了しました。
社長である夫は、いい顔をしませんでした。経理のおばちゃんに
「バイト代は出さないでくれ。」と言っていました。
それでもおばちゃんは、1日千円を次男に渡してくれました。
息子が働いた分を自給400円で計算し、足りない分は私の給料から毎月のバイト代を渡しました。
1か月で4万円ほどになります。
次男は、今まで手にしたことのない大金を受け取って、嬉しそうにしていました。
この会社に80代の会長(夫の叔父)がいるのですが、その会長が次男を可愛がってくれ、次男のことを「オレの友達だ」と言ってくれました。
次男は、引きこもり生活に陥ってから、友達とまったく関わらなくなってしまっていたので、唯一の友達が出来たわけです。
ありがたいことに、日に日に次男は明るくしゃべることが出来るようになっていきました。
そして、夫はそんな次男を家庭内のみならず、職場でも無視し続けていました。
会長夫婦にも、従業員のみんなにも異様に思われるほどの気持ち悪さでした。
一度、「何か話しかけてあげることは出来ないの?」と聞いたことがあります。
「別に話しかける用事がない。」と返ってきました。
「無視してるでしょ。不自然じゃない??」←私
「え?話しかけて欲しかったの?話しかけるように言われてなかったから。」←夫
ゾワゾワ・・・。こういう考え方なんだ。
「天気の話でも、くだらない日常会話でもなんでもいいから、何か話しかけてやって。」←私
と頼み「わかった」と言っていましたが、あまりそう変化はありませんでした。
さて、私の方は、相変わらず痛みに耐える日々を送っていました。知人があるお医者さんを紹介してくれて、そこに行ってみることにしました。
炎症の数値が正常な人の何百倍にもなっているとのことで、すぐに薬が処方されました。
それを飲むようになって、割と早い段階で痛みが和らぎ、通常の生活が出来るようになりました。
薬って、恐ろしい・・・。
そんなこんなで、次男は私を助けるために、すんなり世の中に出るキッカケを手にし、そこで働く人たちの姿を見て色々感じ、誰かの役に立つことの素晴らしさを知るのでした。
次年度(高校3年目)の進路相談
通信制高校という選択
【令和3年】
また高校の復学の為の課題と面談の時期がやってきました。
1年前は、「めんどうくさい」「やりたくない」「見たくない」「聞きたくない」ことから全て逃げて来た次男です。
まず最初に1年前に伝えた「来年度復学希望」に変更がないかの確認のため、親子面談をすることになりました。
次男は、復学を強く希望していましたが、学校側はたくさんの資料を並べ、通信制の高校に編入することを推し進めてきました。
復学をしてもおそらくまた同じことを繰り返すのが目に見えるということ。全日制の場合は、挫折するとゼロに戻って初めからやりなおさなければならないが、通信制ならば、途中で挫折しても何度も何度もそこからやり直せること。が理由だと言っていました。
私は、もう高校は退学して、就職の道もありではないかと思い始めていました。次男は勉強したいわけではないことははっきりしているんです。みんなが行くから行くってことでしょ?勉強したくないのに3年間を無駄に過ごす必要はあるのか?と思っていました。
動物が大好きな次男なので、例えば牧場で住み込みで働けるところがあれば、、、などと考えていました。
次男が行きたい方へ行くことがベストだと思ったので、その牧場の件も提案しつつ、次男に今後を決めるように言いました。
次男の中では、通信は全く考えていないようで、就職も自信がないようでした。消去法で今の学校に復学する!という答えを出していました。
すると学校側から、通信制の高校の学校説明会に参加してみてはどうか。と提案がありました。担任と私も同行する形での参加でした。
行ってみると、思い描いていた暗いイメージのものではなく、割と活気のある、しかも自分自身しっかりと取り組まなければならない仕組みがちゃんとあり、次男はこれを機にどんどん通信制に行く方へと気持ちが傾いて行きました。
そして、2月の初めに次男は「通信制に行く」と決めました。
1年前の悪夢、再び
そうと決まれば、今の休学している学校から通信制の高校に編入するための試験を受けなければなりません。そのタイミングで、約10カ月続けた職場の手伝いもこれで終わりにしました。
さあ、面接と作文・・・。
その練習のため、学校から何度か呼ばれて通いました。
「もう、逃げるわけには行かない」
と次男も頭ではわかっているんです。
でも、とにかく面倒で面倒でたまらないんです。
行きたくない病気がまたまたはじまりました。
それでも、何度か頑張って行きました。
そのうち、、、
「オレ、受験辞める。」
と言い出します。
理由は、作文が面倒。。。
母(私)が次男に送ったLINE
1年前の状態と同じ状態になっている次男に向けて送ったLINEです。
↓ ↓ ↓
今回は、本当にガッカリしました。
新しい目標に向かって進む姿を見て、喜んでいたところだったので、ショックが大きいです。
いつも面倒くさいという気持ちが発動すると、乗り越えられるような小さな壁さえも乗り越えられなくなってしまう。今後も何度もそのたびに挫折することになると想像できます。
今年で18歳になります。
以下の4つは約束して下さい。
・後になって、「なんで止めてくれなかったんだ」と言わないこと。
・思うように行かなくても、人のせいにしたり、何かのせいにしないこと。
・学生じゃなくなるので、経済的、精神的に自立すること。
・父、母亡き後、兄、姉、妹に絶対迷惑をかけないこと。(特に、金銭的な援助を求めないこと!!!)
どうか、お願いします。
無事 通信制高校に合格も
なんとかかんとか面接、作文をクリアし、合格通知が届きました。
説明会、入学準備、入学式、、、バタバタと過ぎて行き、あとは次男自信ががんばるだけ!
週に1度、自分の選択した教科のある時間帯に学校に行って授業を受け、レポートを郵送(または持参)で提出し、定期的にある試験に合格すれば、卒業できるはず!なんです。
でも、順調に行っていたのは、最初の3カ月だけ。。。
2年前、全日制の高校に通い出した時と、同じことになっていました。
自転車で通っていたのですが、坂道がキツイというのです。
私が、毎回車で送っていくべきだったんでしょうか。
長男は、もっと長い坂道のある片道11㎞の学校まで自転車で通っていました。
長女も、家から近い学校でしたが、自転車で通っていました。
次男だけ甘やかすのは本人のためにならないと思い、自分で通うように言いました。
もう、そうなったら行きません。
再び、家でゴロゴロ、ダラダラする日々が始まりました。
「オレは、ゲーマーになる」
お年玉や、夫の会社で自給400円で貯めたお金で、パソコンを購入した次男。
毎日夜中にゲームをしている声が聞こえてきました。
誰かと対戦しているようでした。
時々大声を出してうるさいので、ドアに隙間テープを貼りました。
この子の、何か夢中になれることっていうのが、これなんだな。。。
ま、寝そべってダラダラ携帯でゲームするより、ちゃんと椅子に座ってパソコンで人と関わりながらゲームしてるんなら、いいのかな。。。
楽しそうだし。
この頃は、「ゲーマーになる」と言っていたっけ。
次男が動き出した
いつの間にか私の中で、もうあきらめてしまったのか、息子の人生は息子のものだ!もう、心配しなくていいや。。。という気持ちになっていました。
いや、、、正直、のちのち悔やむ時がくるだろう。。。ヒヒヒ、、、思い知るがいい。。。という気持ちになっていたように思います。
二度目の引きこもりから4か月ほど経ったある日、「今日からオレが風呂掃除担当する!」と自ら言い出しました( ゚д゚)ハッ!
その日から平日は次男が、土日は次女がお風呂掃除をやってくれることになりました。
どうしたんだろ。何があったのかわかりません。
このお風呂掃除に関しては、面倒になることはなく、いまだに続いています。
そのうち、「バイトする」と言い出し、一番最初に面接に行って不採用だった酒屋さんへ再度チャレンジしました。私は、一切助言も、手助けもしていません。全部、自分で進めていました。
今回は採用してもらい、次男は家から徒歩3分のアルバイト先で週に4日ほど働くことになりました。
明かに、次男が変わって行きました。
引きこもっていた頃は、コンビニにさえも行かれなかったのに。
ちゃんと、社会の一員じゃん。
次年度(高校4年目)の進路
【令和4年】
さて、また来年度の計画を立てる時期がやってきました。
同級生たちは、今年で高校を卒業します。
でも、まだ次男は高校1年生。今年もほぼ学校に行きませんでした。
どうする。。。
次男は、「今度こそ、やる!」というので、またまた信じることにして、来年度の申し込みをしました。本当に、頼むよ。。。
学校は またまた断念。アルバイトは順調!
さすが、うちの次男です。
同じことを何度もやります。
昨年よりも、早いペースで学校に行かなくなりました。
私も、もう気にもならなくなっていたので、ふーん。やっぱりね。という感じでした。
アルバイトの方は、順調に頑張っていました。
ずっと、荷物運びと品出しだったのが、レジも任されるようになりました。
そして、嬉しかったのが、近所のおじさんに
「アルバイト、頑張ってるね!見てるよ!」
と言われたこと。小さい頃からの次男のやんちゃぶりをよーく知っているおじさんです。
あー、うちの子人から認められてるぅ~( *´艸`)
嬉しかったなぁ♪
学校は行かないけど、、、
少しずつ進歩しています。
行動範囲も広くなって、友達とも関わるように
自由なお金が入ることで、
洋服を買うようになり、
床屋じゃなく、美容院へ行くようになり、
一人でカラオケにも行くようになり、
一人で映画も見に行くようになりました。
(正直、そんなことが出来るようになるなんて思っていませんでした。)
そんな充実した日々を送っていると、中学の頃の友達から急に連絡が来て、ごはんを食べに行くことになりました。
そこから、高校の頃に仲良くなった友達とも連絡を取るようになり、友達と出かける回数も増えて行きました。
友達からどんどん、色んな刺激を受けるようになると、家でもよくしゃべるようになりました。
顔つきが、1年前とは全然違う。。。
全て、次男が自分自身で切り開いてこうなったんです。
「オレ、車の免許取りたい!」
【令和5年】
突然のことでした。
「オレ、免許取りたい。友達、みんな免許持ってるんだ。」
と言って、自分でネットで合宿免許の申し込みが出来るところを調べはじめました。
が、、、、タイミングが悪く、この時は2月。
申込が殺到している時期でした。
ハジから電話をかけるも、どこもいっぱいなんです。
(思い立ってすぐに電話をかけるところ、随分この子変わったなー!と感動する私なのでした。)
そして、ようやく見つかったのが、お隣の県の自動車学校。
新幹線に乗って、私鉄に乗り換え、さらにもう一回在来線に乗り換えて行かなければたどり着かない場所。
えー、そんなこと、この子出来るかなぁ。
そんな心配は一切いらないほどに、この時の次男は勢いが止まりません。
バイト先にお休みをもらい、ホイホイホイと、あっという間に一人で旅立って行きました。
約2週間、一人で知らない土地で過ごすんです。
次男の積極的な行動に、私は夢を見ているような感覚でした。
予定では2週間で帰ってくるはずが、仮免の学科試験に一発で合格できず2日ほど伸びて帰ってきました。
その後、地元の免許センターで学科の試験を受け、みごと合格し免許証が交付されました。
おめでとう。
勉強嫌いのきみが、ここまで頑張れるんだと母は初めて知ったよ。
いいもの見せてくれて、ありがとう。。
高校5年目は休学。酒屋のアルバイトを辞め、新しいアルバイト先へ
次年度の通信制高校の申し込み手続きをしなかった次男。
高校5年目になる次年度は、はじめから通わない(休学)という選択をしました。
そして、友達に紹介された解体業のアルバイトをすることに。
令和5年3月のことです。
建物を解体するので、体をおおいに使います。そして、釘などでのひっかき傷や、擦り傷が絶えません。わんぱく坊主だった次男にとっては、とてもやりがいのある仕事らしいのです。
月曜日から土曜日まで、朝5時半に起き、6時過ぎには家を出るという生活になりました。
毎日しっかり起きて出かけて行きます。
あっという間に、1カ月がたち、2か月経ったころ、
時々、多少の愚痴は出てきました。
仕事柄、威勢のいい人たちが多かったり、喧嘩っ早い人がいたり、文句ばっかり言っている人がいたり、、、イヤな面も見えて来たようですが、「オレは、ああいう大人にならなきゃいいんだ。」と冷静に離れた視点で見ているようでした。
そして、父親に対しても冷静な目で見ている次男です。
夫から次男に話しかけることは、相変わらず用があるときのみですが、
「パパはプライドがあるんだよ。そんなくだらないプライド捨てちゃえばいいのに。」
という具合に、次男の方が上の方から見ているので笑っちゃいます。
次男の成人式
【令和6年】
解体業の仕事を初めて10か月が経ちました。
その間、一度も、1日たりともずる休みしなかった。(当たり前だが、息子にとってはものすごいことなのである。)
周りの友達が持っているのに自分は持っていないもの、欲しくて欲しくてたまらなかった「自信」を手に入れました。
高校に入学してから、小中学校のクラスメイトとはほぼ連絡を絶っていた次男です。
みんなより、自分は劣っているという意識があって、半分逃げていたところがありました。
そして、今年迎えた成人式。
おばあちゃんとおじさんに買ってもらったスーツを着て、会場に向かいました。
ネクタイがうまく結べないのと、緊張とで、出発する時ちょっとイライラしていた感じでしたが。。。
当日は、式が終わった後みんなで二次会に行ったようで、夜遅くに帰ってきました。
「めっっっっっちゃ楽しかったー!!!」だって。
一人の子は、次男の姿を見て泣いてくれたそうです。
そして、保育園から中学までずーっと同じクラスだった幼馴染の女の子といっしょに写真も撮って( *´艸`)
あー、よかった。本当によかった。
成人式が去年だったら、まだ自分に自信がなくて成人式には出られなかったかもしれない。
みんなと話をして、いい刺激をもらってきたそうです。
そして、自分自身もみんなにいい刺激を与えてきた!と自慢げでした。
オレに人生を教えてくれたのは、「ワンピース」
いつからだろう。。。
会話のキャッチボールが自然と出来るようになってる。
言いたいことを、言葉にするのが苦手だった次男は、話をしていても一体何を言いたいのか、ちっとも伝わってこないので、お互いにイライラして「もういい!!」と会話が成立しないまま終わることが多かったんです。
引きこもりの期間に見ていたYoutube、無駄じゃなかったようだね。
次男は、ずーっと「ワンピース」の動画を見ていたそうです。
「ワンピースに色々教えてもらった。人との関わり方、言い方、考え方、学んだよ。」って言ってました。
いや、ワンピースだけじゃないな。
最初の自給400円のバイト、酒屋のバイト、今の解体業のバイト。色んな人と関わっていっぱいいっぱい吸収したんだろうな。
高校6年目 新たなる挑戦へ
【令和6年】
そして、現在令和6年3月。
次男は、通信制の高校の再受講の申し込みをしました。
4月から、仕事と学業の両立をするつもりです。
成人式の日、自分と同じ通信制の高校に通っていた友達から何か影響を受けたらしい。
勉強は嫌いだけど、やっぱり「高校を卒業した」という実績が欲しいんだと。
ちゃんと目的があって、それを目指すためなら今度こそ、大丈夫なんじゃないか。。。と
期待してみよう。
何度も、裏切られてますけどね。
でも、次男には言いませんけど、私はもう学校はどっちでもいいんです。
もう、「あ、この子大丈夫だ。」って思えるから。
随分回り道したけど、その回り道していた分を全ていい経験に変えてくれた。
全部、必要なことだったんだ!と思えます。
まとめ
引きこもっていた期間、明るい未来が何も見えませんでした。
次男のやることなすことに、いちいち身も心も振り回されて、いつまで続くの?これ終わるの?と、思っていました。
何年も続いていたような気がしましたが、こうしてまとめてみると、引きこもっていた期間はトータル1年と2カ月ほど。
体感としてはものすごく長かったのに、数字にしてみると短いなぁ。
次男にとって、「勉強」は必要のない物だったと思うんです。だから拒否反応を起こしていたんだと思うんです。たいていの人は、「みんながやるべきことだから」とムリをしてやりたくなくてもやるんですけどね。でも、次男のように「本能的にわかる」才能を持つ子がいるんですね。
もはや、ムリして頑張る人たちよりも、次男のような人間の方が、本来の正しい姿なのではないかと思ってしまったりもします。
小学校で、全く授業についていけないのに、ジッと机に向かっている時間は、とてつもなく苦痛だったんじゃないかと思うんです。それに耐えていた次男は、すごいなーと思ってしまいます。
そのストレスが、変な風に問題行動となって表れてしまった。そういうことだと思うんです。
全員が同じように授業を受けなければならないという教育の在り方って、今後変わっていくんじゃないかと思っています。そうなれば、問題行動を起こす児童も少なるなるんじゃないかなぁ。
最終的に思うのは、親の私が「ムリして頑張る」方を望んでしまったばっかりに、息子を振り回してしまったのかもしれないという考え方になりました。
子どもが引きこもってしまったら、親は心配します。当たり前です。
でも、このままずっと引きこもるのか、勇気を出して世の中に出て行くのか、親が決めることではないと気づきました。
だって、息子の人生です。
生きていくのは息子だから。
その子のタイミングで来る時が来たら、自分から動き出すはず。
親が心配している、期待をしている、そういうプレッシャーを与えたから、こじれてしまったんだと思うんです。
次男は、私の為に頑張ろうとしてくれてたんだと思います。
自分の意思だったら、苦しくならなかっただろうに。
私が親としてワンランクアップするために、次男がいたんだね。
ありがとうよ。そして、未熟な母でごめんよ。
私も勉強になったよ。
やっぱり、うまく行くように出来てるんだなー。全部、ぜーんぶ必要なことなんだなー。という結論です。私の11年続いた悪戦苦闘は、これで終わりです。
万が一、今後の息子がまたおかしなことになったとしても、私はもう悪戦苦闘しない自分でいられる気がしています。
私が悪戦苦闘しなければ、息子は自分で立って歩くんだ!
心配や、不安をいつまでも持ち続けない方が、うまく行く!という法則があるようです。
この子、大丈夫!!と親御さんが決めてしまえば、もうやがて霧が晴れたように解決するはず!
この私の体験談が、誰かに届いて、ほんの少しの光が差し込むキッカケになるといいな。
なりますように。。。
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